『プロジェクトX』の逆バージョンが出たら徹夜でみるだろうな。絶対成功と思われてたプロジェクトがありとあらゆるアクシデントでみじめに失敗していくドキュメント。
「俺の頭が悪いんじゃなくて、お前の頭がいいんだよ。人を馬鹿にする前に、自分を褒めろよ。」
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こういう発想のできる人になりたいなぁ(笑)。これすごい好き。
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(via xlheads) (via mcsgsym) (via kirin91)男性は共感が苦手で、つい解決をしたくなる・・・って、よく言いますよね。
あれ、ウソですよ。
だって、上司の愚痴に対してアドバイスで応えている男性なんて、100人に1人ぐらいしか見たことないですもん。私、男ばかりの職場に勤続20年ですけど ね。
逆に、上司にアドバイスしてるのは女性の方が多いのじゃないかしら?
男性が女性にアドバイスをしてしまうのは、女性を下に見ているからですよ。理由はこれしかありません。
男性上司の愚痴に対しては、「はあ、そうなんですか」「部長も大変ですねえ」以外の反応なんてほぼ皆無ですよ。
主さんもそうでしょ?
同じことが親子でも言えます。子供の悩みには、どうしても解決策を与えてしまうのが親です。それは親から見たら、子供はどうしたって「下」だからです。
男だのなんだのは言い訳です。どうしてもアドバイスが出てしまうのは、俺の方が君より賢いんだ、上なんだ、という意識があるから、です。
K教授はもう少しアカデミックに、
確率論と統計学の違いについて説明した。彼の答えは
「統計学はギャンブラーのためのもので、
確率論はカジノの設計者のためのものだ」
という簡潔なものであった。
これはなかなか上手い説明だと思う。
すなわち、統計学とは、真実が分からない中で
利用可能な情報からどうそれを解明するかを研究する学問で、
確率論とは所与の数学構造の系として性質を導く学問である。
この二つの分野は、数学的手法という意味ではほぼ同じものを
使っているが目的意識にはかなり大きな隔たりがあるように思う。
55 :名無しのひみつ:2009/03/05(木) 02:56:33 ID:TUh+8kfC
世界でも最新のレーザー核融合技術持ってた阪大はアホ扱い、「そんなので核融合なんてできるかw」とバカにした東大・京大は協力もせず、日本の研究費のほとんどをトカマク型に投入。阪大は地道に研究を重ね、実証的な核融合技術に筋道をつけた。トカマク型・レーザー型どちらか迷ってたアメリカは、阪大の技術を見て、「これならいける」とトカマク型をばっさり切って、秘密裏にレーザー型に研究費を投入。
極秘裏にレーザー型を研究してるだけなのに、アメリカは消えたと思った東大・京大とヨーロッパ連合は建設費1兆円のITERで2030年だかに投入。相変わらず阪大をアホ扱い。(東大・京大に研究費の大半を握られてるため、金もだしてくれない日本政府)
そうこうしてるうちに、いきなりアメリカが2030年くらいにできるかどうかも未定だったQ=20の核融合炉を「すでに建設中、2010年に点火予定」と発表。わけもわからんうちに、バカにしてたレーザー型が世界の核融合の最先端だと判明。しかし、バカにしてたので、阪大以外に誰も技術者がいない。東大・京大はトカマク型の技術者・研究者しかいない。ヨーロッパでもトカマク型よりレーザー型の方が優れてる可能性が高いと判断して、慌ててレーザー核融合を研究・建設開始。
バカを尻目に、アメリカと阪大だけが世界の最先端にいる状態…(アメリカは阪大の弟子、阪大はアメリカより優れた技術を持ってて、”少ない”予算で世界最先端を維持し続けてくれてる)
「前から言おうと思ってたんだけど」って前置き超怖い。傷が浅くて済んだ試しがない。
友達Aと地下鉄に乗ってたら、同じ車両にいた池沼が
大学生っぽい女の子の肩をグーで殴りながら奇声を上げだした。
女の子が「やめて下さい!」って言ってるのにニヤニヤしながら続行。
キレた女の子が池沼の腕掴んで「やめろって言ってるでしょ!」と
怒鳴ったら池沼の飼い主が現れて(ってか、ずっと隣にいたらしい)
「○○ちゃんはハンデキャップもってるのよ!もっと思いやり(ry」と
教科書どおりのセリフで逆切れしてた。
それを聞いたAが急に奇声を上げながら飼い主の肩を数発ほど殴り、
次に池沼の頬を両手でバシンバシン挟むように叩き出した。
「なにするの!」と飼い主の怒りがこちらに向いちゃったので
「すみません、弟はちょっとハンデキャップもちなもので」と言ってから
「こらA!知らない人ぶったらダメだろ!!」とAにゲンコツして
「あやまりなさい!」と促した。
Aはたどたどしく「ごめんなさい」と池沼親子に謝り、俺も周りの人に
「お騒がせして申し訳ありません」と頭を下げる小芝居をしたら、
池沼の飼い主は顔赤くしてプルプルしながら沈黙した。
その後、Aに何で急に池沼のフリして暴れんだよ、と聞いたら
「ああいう類は、自分がされなきゃわかんねーんだよ」と
DQNだけど男らしいお答えをいただき、ちょっとかっこいいと思ってしまった。
でも、その後「おまえもとっさに演技してたじゃん、弟はハンデキャップ持ちってw」
「なんだよハンデキャップってw」と笑うAに
「だってお前包茎じゃん」と真顔で言ったら奇声を上げながら殴られた。
アメリカでネオナチの人が反ユダヤな発言を繰り返してて
逮捕された。
裁判の時についた弁護士はユダヤ人で
言論の自由を盾に見事無罪を勝ち取った。
裁判後の記者会見で
ネオナチの人は弁護士に
「弁護してくれた事には感謝するがお前らが地上から抹殺されるべき
という俺の考えは変わらない」
と言い放った。
それを受けてユダヤ人の弁護士は
「あなたの意見に私は全力で反対する。
しかしあなたがそれを言う権利は全力で守る。」
と返した。
言論の自由ってのはそういうもんだと思う。
例えば、小さい子どもを出して、ただひたすらけなげに酷なことをさせればいい。(装置)
雨の中、知らない街でお母さんを探すとか、いなくなったペットをひたすら探して転んで膝をすりむくとか。
悲しげで大げさな音楽をこれでもかと流す。演技が真にせまっていれば(演出)大抵の観衆は自動的に泣く。
泣くのは快感だから、大抵の観客は泣かされても文句は言わない。
みうらじゅんはそういうのを「涙のカツアゲ」と呼んだ(Always三丁目の夕日を例にあげて)。
私はとある理由で、同窓会にはまだ生涯で1度しか出席したことがありません。特に先日、私が過去に遭遇した教育現場の生臭い話をした中学時代の同窓会には、一生出席しないと思います。
最大の理由は、いじめを行ったほうも私を脅迫した教師も、『そんなこと無かったかのように』にこにこ笑っているのが我慢ならないから。
担任は確信犯ですが、いじめっ子のほうは中学だけでも約二年半ぐらい、私や私以外の人間をいじめ続けました。
その場でいじめっ子の彼にさりげなく「いやあ、お前にはいじめられたからなぁ」と話を振って帰ってきた台詞がこれ。
「えっ? そんなことあったっけ?」
「いやあ、あん時は若かったよなぁ」
すべて「若気の至り」で完結していました。いじめられた方は恐怖と怒りと怨念の記憶とともに人生を歩むことになりますが、いじめた方は真実何も覚えていないか、そもそもいじめをしたという自覚すらありません。少なくとも私にいじめを行った人物についてはそうでした。
「ふざけるな!」と怒りのあまりにわめき散らしてその場を凍り付かせても良かったのですが、その場は笑顔をキープして、二次会は避けました。もっとも、笑顔の下で表情筋がこわばっていたのを、今でも覚えています。
ちなみに彼のよくやったいじめは、「授業中、板書している先生の目を盗んで前の席の生徒の背中を殴りつけ、悲鳴をあげさせて授業を中断させる『遊び』」というものでした(授業中の教師は基本教科書か黒板しか見ていない)。
彼にとっては単なる一過性の『娯楽』だったので、1年前のお笑い芸人のネタを視聴者が覚えていないように、彼もまったくいじめについては記憶していませ ん。せいぜい、「若い頃はやんちゃだったな」程度の認識。私は何をされたか具体的にここで書けるほど覚えていますが、これが実際の加害者と被害者の温度差 なのではないかと思います。
ゆえに、あえて言います。自殺しても無駄死にだと。
「いじめられっ子の究極の自己主張は、実名を記載した遺書を残しての自殺である」という、報道なども含めた現在の状況(というか雰囲気)は、いじめられっ子に対しては何ら利しません。むしろいじめられっ子に「自殺すれば声が届く」と勘違いさせ、自殺を促すことになりかねません。
本当に知らしめるべきは、十年後二十年後の同窓会で私が遭遇したいじめっ子の姿であり、脅迫に荷担した担任教師の笑顔であるべきだと思います。そう、彼らはいじめなど無かったことにして笑顔で同窓会に出席しているのです。
まあ学校ぐるみで「我が校にいじめなど無い」と、いじめられた方に言い切った学校に所属していたわけですから、彼らにとっていじめなどん無かったのでしょう。ただ、当時私はその『遊び』のお陰で、背中が痣だらけでしたが。
だから、いじめを受けている子供たちに言いたい。
『死ぬな』